講師&演者紹介

檜垣由紀(ひがき・ゆき)

地域音楽コーディネーター

エレクトーンインストラクター・ミュージックベルプレイヤー&指導者

演奏活動&体験講座「co-nekoみゅーじっく」代表
エレクトーン&ミュージックベル教室「こねこのて音楽教室」主宰


何にでも興味津々。そして…実験大好き!
自分で体感したからこその「経験」に勝るものはない!と信じています。

「分かる!私もそこ弾けなくて困ったんですよ~!」

優等生じゃなかったからこそ…生徒さんがつまづいたり、困ったりする気持ち、誰よりも共感できます。だからこそのアドバイスも!

私自身、大人になってからエレクトーンを始めたからこそ「いつから始めても遅くない!」音楽を楽しむには年齢なんて関係ない!こと、自信をもってお伝えできます。

コンクールで賞をいただいたことのある人間ではありませんが…
「音楽を楽しむ」ことなら、誰にも負けてないはず!とことん行動しています。

「一生ずっとずっと音楽を楽しんでいくためには」

こねこのて音楽教室(エレクトーン教室・ミュージックベル教室:足立区)はここに重きを置いています。

一生ずっとずっと音楽を楽しんでいくためには…
楽しいことはずっと続けられるし、上手になっていけるもの、と信じています。

そう。
私がそうだったように…

日々音楽と共に「笑顔」で過ごせるよう、一緒に楽しんでいきましょう!!
体験レッスン、ご入会、お待ちしています♪

こんな顔でオンラインレッスンの画面の向こうをあったか~く見守っていますよ(笑)↑


関東三大祭の1つと言われる「石岡のおまつり」で有名な「茨城県石岡市」生まれ
ベートーヴェンの命日の翌日3月27日、雪の降る日生まれ
尊敬するB’zの松本孝弘さんと同じ誕生日

たぶんA型(…かなりO型に近いA型のようです。検査技師さんが唸ってました)

茨城県立竹園高校普通科卒業
高校生クイズ地区予選10問目敗退(あと1問で県大会決勝!)その年の『高校生クイズ問題集』に感想文が掲載される

大学進学にともない東京都民に(日野市→多摩市在住)
中央大学法学部政治学科在学中の19歳でエレクトーンを習い始める
同大学同学部を卒業後…中央大学大学院総合政策研究科博士課程前期課程 総合政策専攻修了
大学院在学中に全日本エレクトーン指導者協会(jet)会員となる

現在は 東京都足立区 に住んでいます。

全日本エレクトーン指導者協会(jet)ヤマハミュージックリテイリング銀座店支部所属
全日本ミュージックベル連盟認定講師(関東地区)

音楽教室の先生…えっ??
何とも謎な経歴をたどって…今の私がいます。
なぜならば…

はじめまして。わたし と けんばんがっき

5歳の誕生日に母が私にこう言ったのです。

「いいところに連れて行ってあげるね」

…おもちゃ屋さん?ケーキ屋さん?

そんなワクワクの私が連れられて行った場所は…近所のピアノ教室でした。
まっしろいグランドピアノと、何やらたくさんのボタンが付いたオルガン…

(これがのちにエレクトーンと判明します)

そんな教室に小5まで通い、先生ご一家のお引越しのために別の教室に移り、中1で部活との両立ができなくなり、ピアノを辞めてしまいました。

でも実は。

小さい頃の私は、先生の家にあったボタンのいっぱいついた謎の楽器が、とてもとても気になっていて。
時々ソルフェージュで先生がその楽器を弾くのが楽しみすぎて。
幾度となく両親に「あれ買って」とねだったものでした。
(その結果、サンタさんからピアニカが届くというミラクルが起こります(笑))

子どもの頃の私の頭の中に流れていた音楽は、いつも「オーケストラのような」「バンド演奏のような」音楽でした。

だからまだそんなにテキストも進んでいなかったころ、正直ピアノが嫌いでした。
右手と左手の音しか鳴ってないなんて、私の頭の中の音楽と違うもん!って。
当時からエレクトーン向きだったのかも知れません…
(のちにもう少しピアノのテキスト進んでから、ベース音も左手で弾けるようになるんだと知り、今ではピアノも大好きです。ピアノだからこその演奏も大好きです)

小学校の音楽室にあった、機種は分かりませんが…レバー式のエレクトーンを弾いたのが、私のエレクトーン演奏の最初だったかと思います。
楽譜もないのに、「切手のないおくりもの」をオルタネーティングベースを使って演奏していたんです…!今、思い返してみると結構難しいことをやっていたなぁ…と。
その証拠?に、押さえたFのコードは「ドファラ」の並びでした。

でも。

ベース音まで自分で演奏できて「ひとりオーケストラだ!ひとりでバンドみたい!!」とっても満足したのを覚えています。

鍵盤と離れてしまった中学・高校生時代

中学・高校は鍵盤楽器と離れてしまいました。気晴らしに少しピアノを弾くことはあっても、新しい曲にチャレンジすることもなく。

それでも、中学校に何故か置いてあったエレクトーン、卒業式でエレクトーンを習っていた友達が吹奏楽部の演奏と一緒に弾いていたこと…高校では普通科だったのに何故か選択音楽の授業の中に「作曲」課題があって、エレクトーンで曲を作ってきた友達の作品に大いにあこがれてみたり…。

中学の吹奏楽部が吹いていたあの曲をいつか自分でエレクトーンで弾いてみたい…そんな夢を持ったのもこのころです。
(当時、曲名まったく分からなかったんですけどね…大人になってから、この曲は「アルヴァマー序曲」だったということが判明しました)

高校生になって。
弟が始めたのをきっかけに一緒に始めた剣道。
でも…まさかの昇段審査直前に左手小指を脱臼してしまい、竹刀が握れなくなりました。

そして、この後遺症でしばらくの間、左手でオクターブが届かなくなりました。鍵盤弾きとしても結構な致命傷…。
必死のリハビリを経て、今現在は無事にオクターブ届くように復活しました!

音楽に関しては、離れるどころかより一層のめり込んでいき。
アニメのシティーハンターを見て大好きになったTM NETWORKに大いに影響され。
「お前ピアノ習ってたって言ってたよな?」クラスメイトの男子に言われて、バンドのキーボードを担当したことも。
小室哲哉さんの使っていらっしゃったシンセ「DX7」や「EOS」が欲しくなって、お小遣い貯めてみたり。
その後、浅倉大介さんに大きく影響を受け。
TM NETWORKでシンセベースを弾かれていたお姿が衝撃的で!そして、accessでショルキーを弾きながらステージを走り回る姿にあこがれたものです。

さらに私の中で鳴り響く音楽は「両手だけでは表現しきれないもの」を求めていくようになったのです。

やっとエレクトーンに出会えた!大学生時代

と…ある事件をニュースで見て。
音楽とは全く違う分野の「弁護士」を目指していました。中学1年生から。
猛勉強の末、第一志望の大学の、第一志望の学部の…第二志望の学科に合格します(ちょっとだけ残念!)

と、いう建前と

「帰りの電車を気にすることなく、ライヴやコンサートに行ける東京に住みたい!!」という本音と(笑)

私の中にしっかりと出来上がっていた2本柱を実現すべく、東京の人になりました。大学進学をきっかけにして。
そして今も音楽のためにこだわって、東京に住み続けています。

東京で一人暮らしを始めた私の目に飛び込んできたのは…駅前にあったヤマハ音楽教室の看板。
おそるおそる受付を覗いてみると、レッスンのない時間はエレクトーンのレンタルができますよ、というありがたいお返事。

大学1年生の冬、19歳で私のエレクトーン人生が始まったのでした。

アルバイトで月謝を稼ぎ、楽器禁止だったワンルームのアパートではCDを聞きながらひたすら楽譜を見ていました。

趣味で始めたエレクトーンは、大人になっても趣味…だろうなぁと思っていました。
大学に入っていろいろな学問に触れていくうちに、「視野が狭かったな…世の中のこと、何にも知らなかったんだな…世の中、職業もこんなにいっぱいあるし、やりたいこともこんなにいっぱいあるのか」って。

卒業論文では法律のことではなく、学んできた中で興味を持った「地方自治」のことについての論文を書きました。新聞の地方欄に取り上げていただいたこともありました。
今でもその新聞記事は大事に保管しています。

でも。

この論文を書いたことが、まさかの「エレクトーンを教える仕事」につながっていくのです…。

「教わる立場」から…まさかの「教える立場」へ…

大学を卒業して数年後、社会人として働きながら…のある日。
地域の夏祭りでエレクトーンの野外演奏に参加させてもらう機会がありました。

卒論を書くための研究の場として、大学時代から活動に参加させていただいていたNPO地域活動の場。その中でも、かなり大きなイベントの1つだったんです。

その夏祭りで、楽器の搬入や音響のお手伝いに来ていた楽器店の営業Aさんに声をかけられます。

「うちのjet(全日本エレクトーン指導者協会)に入らない?」と。

これが、エレクトーンが趣味から仕事に変わり始めた瞬間でした。

誰にも教えた経験もないし、ましてや演奏の腕前もまだまだ上級とは言えず。

でも。

誘っていただいて入った全日本エレクトーン指導者協会(jet)スガナミ楽器多摩支部、ここで本当にいろんな体験をさせてもらいました。

ここの研修の一環で出逢った楽器が「ミュージックベル」

2000年の冬、です。

講習を担当してくださった福井幾先生、その節は大変にお世話になりました。
その後もミュージックベルの講習には積極的に参加し、大石由紀子先生にもお世話になりました。福井先生、大石先生のお書きになった曲集、教本、今でも大事に使わせていただいています。
講習会に全て参加してカリキュラムを終え、全日本ミュージックベル連盟の認定講師の資格をいただきました。

そのわずか2か月後、地域の夏祭りをしていたエリアのつながりで、八王子市立長池小学校で「ミュージックベル教室をしてもらえませんか?」というお話をいただきます。
当時、開校してわずか3年の小学校でした。
音楽室に誰も演奏方法がわからない謎の楽器があるのだけれど…と校長先生に連れて行っていただいて。

「これです」と言われ、見た楽器がミュージックベルだったのです。

午前中にお母さん方のチーム、午後からは1~6年生、各学年ごとのチームで練習をし、約10年間、地域の夏祭りでの演奏やクリスマス演奏などを行いました。
この教室を担当している間に、子供たちから「先生も発表会で演奏してよ~!」と言われたのがきっかけで、ひとりでミュージックベルを演奏し始めたのです。これが、今現在の私のミュージックベルの演奏スタイルになっている「ひとりミュージックベル」です。

当初は子供たちのチームに入って、一緒に演奏をしていたのですが

「先生ひとりで何本振れるの?」

という子供たちの無茶振りにこたえていくうちに…これが私のトレードマークになりました。あの時は本当に大変だったけど、無茶振りしてくれた子供たちに今では感謝しています。

ちょうど同じ時期、スガナミ楽器町田店ハーモニーパーク(大人のフリータイムエレクトーンレッスン)のインストラクターのお仕事もさせていただきました。2006~2012年の間、たくさんの大人のメンバーさん(生徒さん)とエレクトーンでいろんな事にチャレンジさせていただきました。

「大人になってから始めたんでは…うまくならないですよね?」

この質問に身をもって「いえいえ!!そんなことないですって!」と言えたのが、今思えば私の強みなのかも知れません。

まさか…19歳でエレクトーンを習い始めた人間がインストラクターになるなんて。

日々のレッスンの中で私も学ぶことだらけでしたが、教えることが自分の成長にこんなにも直結するんだということをしっかりと実感させてくれた、大切な時間でした。

インストラクター時代に店頭デモ演奏も担当させていただき。
ミュージックベルの指導の際も、地域のお祭りや発表会等では講師演奏ということで演奏をさせていただき。
今でも、月に1回、足立区江北地域学習センターさんにて、ミュージックベルのロビーコンサートを行わせていただいております。秋のふれあい祭りの際は、センターさんへエレクトーンを持ち込んでのコンサートも実施させていただいております。
結婚式の披露宴や、記念パーティーでのゲスト演奏なども行わせていただきました。

2018年には、所属させていただいている音楽療育鍵盤指導研究ネットワークで、学会発表(日本電子キーボード音楽学会 第14回全国大会)の担当もさせていただきました。学生時代に研究していた分野での学会発表の経験はありましたが…音楽の世界ではこれが初めて。諸先輩方のアドバイスをたくさんいただきながら、無事に発表することができました。

「ディスアビリティを持つ生徒の鍵盤指導」http://jsekm.jp/2018JSEKM/taikaiProgram/taikaiProgram_00-22.pdf

No Music , No Life!音楽に囲まれる日々の中で

日々まだまだ精進、ではありますが。

音楽を奏でることで笑顔になってくださる方がいらっしゃったり、拍手をいただけたり。

夢だった、終電を気にせず行けるコンサートやライヴに足を運んで、生の音を身体いっぱいに浴びたり。一緒に歌ったり拍手したり踊ったり。どこからそんな音が鳴るんだろう…なんて考えるのも楽しかったり。同じように再現できるかな?なんて、エレクトーンに向かったり、機材をつないで実験してみたり…。

とても嬉しい、楽しい充実した日々を送っています。

コロナ禍になり、音楽を「配信」で楽しませてもらうことも増えました。
音楽のチカラ…恐るべし!家にいてもこんなにも楽しませてもらえるなんて!

「withコロナ」の時期に入り、今はしっかり対策をしつつ、再び生の音を浴びに。
その感動を1人でも多くの音楽仲間さんに伝えたい!共有したい!
日々のパワーになっています。

「できたね!」「弾けるようになったね!」「操作ひとりでもう大丈夫ですね!」生徒さんと顔を見合わせて喜びを分かち合うことも日々楽しく。

「あの演出、レッスンでも使えるかも…」「今度のデモ演奏の時にやってみよう!」見てきた、聞いてきたことがレッスンやデモ演奏の場で実践できることも楽しくて。

音楽が運んでくれる笑顔が、たくさんの人に広がりますように…

そう思いながら今日もレッスンに、演奏に出かけます。


檜垣、あちこち掲載していただいてます♪情報


【番外編情報!】

休日は足立区立郷土博物館展示解説ボランティア「博友会」のメンバーとして、足立区立郷土博物館の展示解説をさせていただいております。現代史が得意分野です(2階の都営住宅エリア、お任せください!)

【趣味】

とっても多趣味なので…ベスト5を!

  • ライヴ・コンサート参加(クラシックもインストもロックもEDMもアイドルも、幅広く大好き!)
  • ラジオ(毎週19番組聞いています♪月イチの番組を入れると…21番組!)
  • ハンドメイド(主にピアスとチャーム作りが得意です♪)
  • 手帳書き(手帳歴25年超。ほぼ日手帳ミーティングキャラバンにも参加させていただきました!貴重な経験をありがとうございます!)
  • 雑貨店・文房具店めぐり(シール、マスキングテープ大好き♪)

【特技】

  • ドラマや映画・CM撮影などのロケ地を探し当てる(ロケ地巡りも好きです!)
  • 人からよく道を聞かれる(旅先で聞かれることもめちゃくちゃ多いです)
  • アロマオイルの嗅ぎ分け(アロマテラピー検定1級合格、かつてはアロマテラピー・アドバイザーの資格を持っていました)
  • ミシンを使うと100%下糸が絡まる(嬉しくない特技…)
  • 「じゅげむじゅげむ…」を全部言える
  • どんなぬいぐるみさんともお話できる →(参考ブログ)「おもたいぞうさん」を弾き分ける4歳の感性!(4歳・女の子)~感性を育てるレッスンをしています♪

【家族構成】

夫(カラオケ大好き)とお姑さん、そしてたくさんのぬいぐるみさん(ぬいぐるみさんは家族!)
ちょっと前まで白ネコ「はな」ちゃんも一緒に住んでいました。2022年5月からは真っ黒な保護猫「シャアくん」「セイラちゃん」と一緒に暮らし始めました。
残念ながら子供おりませんが(コウノドリさんの大好物は何だったんだろう…)母が保育士だったこともあって?か、子供ウケはめっちゃイイです(学童保育の指導員経験あり、です。学童ネームは旧姓をもじったニックネーム「いわぽん」でした)

【音楽以外の取得資格(抜粋)】

  • 剣道1級(初段受験直前に左手小指を脱臼し竹刀が持てなくなり…剣道人生に幕を下ろしました…)
  • 中学校社会科専修教員免許
  • 高校地理歴史科第一種教員免許
  • 高校公民科専修教員免許
  • フォトマスター検定2級(足立区写真展佳作入賞経験あり)
  • フラワーアレンジメントインストラクター(自分の結婚式のブーケも自作しました!毎年クリスマスリースも自作です♪)

etc…

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